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by fudeoka
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<  2011年 10月   >
  • 御岳渓谷にて
    [ 2011-10-30 10:21 ]
  • DREA夢が10歳になりました
    [ 2011-10-25 22:06 ]
  • メラ・ピーク登頂ならず
    [ 2011-10-25 09:00 ]
御岳渓谷にて
事務連絡
東京カヌークラブOB秋田支部の皆さま
田沢湖では大変お世話になりました。

久々に御岳の水に浸かってきました。
練習に励んだ御岳カヌーコースは昔と少しも変わっていませんよ!

まずは富士山に敬意を払い。

一路、青梅御岳へ。
岡部のおばさんも元気ですよ。(民宿おかべにて)


紅葉には少し早いですが、いつまでも綺麗な御岳渓谷でした。

艇庫にて

みよちゃんのフォーム(ユーゴスラビア・スコピエ世界選手権出場選手)

恥ずかしながら、現在の私のフォーム

しかし、私も昔はこうでした・・・・!!

      
昔の仲間と。

最近はポリ艇が多く、FRP艇は少ない。
カヌーを自作していた時代が懐かしいな・・・

by fudeoka | 2011-10-30 10:21 | Trackback | Comments(0)
DREA夢が10歳になりました
2001年10月5日
ドイツから博多港に入港し通関前の貴重なホームページがありました。
あれから10年、DREA夢とあちらこちら夢の実現を行っております



        クリックしてください。

                       DREA夢の誕生日

                   ホームページありがとうございます。
by fudeoka | 2011-10-25 22:06 | Trackback | Comments(0)
メラ・ピーク登頂ならず
ヒマラヤトレッキングも3年目、そろそろピークを狙いたいと思っていた。
今年は早々とヨットを降り、トレーニング時間は十分あった。
目指すは、メラ・ピーク(6461㍍)、ヒマラヤのピークの中では簡単だと聞く。
しかし、6000㍍以上は別世界、高山病が心配だ。
頂上からは、エベレスト、ローツエ、チョーオユ、マカール、カンチエンジェンガーが
一望出来る。
希望と不安と恐怖はあるが、自己のへの挑戦とし、準備・トレーニングを開始する。
1・高山病への取り組み。
  ・低酸素トレーニングの受講、効果のほどは分からないが安心材料だ。
  ・20キロを担ぎ六甲山中を走り回り心拍機能を高める、自己流
  ・オキシメーターで血中酸素、脈拍を継続的に記録。
  ・脳浮腫・肺水腫・意識障害について
  ・肝機能を高める
   すべて素人判断だが、自己満足

2・食料
  ・今回のルートは原則テント、自炊。
   ”山はメシが歩く”の言葉通り5000㍍でも食べれるメニュを作成。
   米、調味料、食材等、生野菜以外すべて日本から持参。
   事前に、メニュー、レシピーをダンマル(コック)に連絡、いつでも自分の
   好きなものを食べれるようにした。
3・減量
   これは最後まで達成出来なかった。

9月25日
      まずはインチョンへ、前日、カトマンズ空港で遊覧飛行機が墜落し、
      全員死亡との連絡が入る。ずーっと天候が悪いらしい。
      あまり気にせず、いつもの店で腹いっぱい焼肉を食べ気勢を上げる。

           在りし日の写真とならないように。

  
26日 
      インチョン空港からカトマンズ空港へ時差3時間
      昼ごろ到着予定が、まさに着陸寸前で急上昇、数回旋回後カトマンズから
      離れていく。
      機内放送の英語も韓国語もわからず不安のまま着陸したのが、バングラディッシュ
      のダッカ空港らしい、空港の片隅で5時間機内待機。早々と行く先が心配だ。
      天候の回復を待ち6時間遅れでカトマンズへ。
      激しく揺れる中着陸、機内で歓声と拍手がおこる。

      ダンマルさんは6時間以上空港で待っていたそうだ。
      まずは、ポーター達の食料を調達
      米72キロ、ジャガイモ35キロ、卵90個、彼らの食事は半端では無い。
      それ以外にテント・ザイル・ピッケル等登行用具。
      用具点検等に深夜までかかる。

          ジャガイモを購入するダンマルさん
  
27日 
     飛行機が飛ぶかが心配したが、晴れ間をぬって数時間後離陸これはラッキー
      約30分で世界一危険な空港ルクラ(2642㍍)に着陸。



     ここで野菜25キロ・ポーター二人雇用、ポーター合計6人。

2時ぐらいから小雨の中を歩く、約3時間でチュタンガ(3518㍍)に到着
夕方から激しい雨、早速テントから雨漏れ、ダウンの寝袋は水に弱い。寒さがこたえる。
夜中、雪崩か土石流か轟音が谷間に響き渡る。逃げようにも真っ暗で何も見えない。
雨漏れと轟音とで寝不足、またダイアモックスの影響か夜中に4回もトイレ。

28日 
雨の中、高度を上げていく。本当に天気が悪い。
昼から高度順応で近くの山を予定していたが、大雨のため中止。
寒さのためか少し熱がある、早々座薬のお世話になる。

29日 
高度順応無し、3日目で4615㍍のチュトラパスを越える。
雨から雪に変わる。帰りは雪の斜面になっていた。
きつい登りだが、低酸素訓練のおかげか、それなりに歩けた。
石楠花の木が山一面に生えている。
ネパールの国花は石楠花、5月ごろには赤い石楠花が山いっぱい咲くとの事。


      チュトラ峠を登るポーター達



       チュトラパスからの眺め

      峠下のチュリコルカ(4211㍍)でテント場

ここで、オランダ隊・スイス隊の話を聞く。
何しろ天候が悪く、メララ以上(5415㍍)は膝上までのラッセル、ルート不明確で
クレバスが分からない等々苦労話を聞く(通訳を通じて)
結局アタック出来ず下山しているとの事。
だいぶ疲れたようすでがっくりしていた。
 
30日
コーラ川に向け高度を下げて行く。急な下りだ。
コザの村(3700㍍)に着く、テント場も大きく広い。
久々に濡れた物を乾かす。





 
           今回のメンバー 

ミン(サーダー)・ドッジ(クライミングシェルパー)・ダンマル(コック)
ポーター6人の計11人の隊。 
クライミングシェルパーのドッジはエベレスト(8844㍍)アタック3回
内登頂1回。ダウラギリ(8172㍍)登頂・チョーオユ(8201㍍)登頂、他
38歳体重65キロのベテランガイドです。
86キロの僕がクレバスに落ちたら止められますかとの質問に笑顔だけで返事は無かった。

10月1日
タンナック(4358㍍)に到着
雲の切れ間からタンナック・ピーク(6249㍍)が望める。
メラ・ピークは後200㍍高く、このピークの後ろ。
いったいどこから登るのだろうか?


      タンナック・ピーク(6249㍍)



2日
タンナックで高度順応、クスムカングリ(6370㍍)のベースキャンプまで登る。
昨年日本人二人がタンナックに2ヶ月滞在しピークに登ったとの事。


3日
タンナックからカーレB・C(5099㍍)
ここがメラ・ピークのベースキャンプとなる。



     カーレB.Cからの景色
4日
高度順応でメララ(5415㍍)まで登る。


       後方にメラ・ピークが見える
笑顔の写真だが・・・
空気が薄く苦しい、10歩歩いて深呼吸、10歩歩いて深呼吸、本当に苦しい。
心臓がバクバク鳴っている。
ちょうど100㍍ダッシュしてゴールした時の息遣い、とにかく苦しい。
肺がピーピー鳴る、肺水腫か、?ふらふらする、脳浮腫か?心配が続く。
意識障害にならないように九九を口ずさみながら歩く

     太陽が出ていると暑いぐらいだ

    遠くにメラ・ピークを望む、左端がハイ・キャンプ地(5800㍍)だ。
苦しさの中に明日からの期待に胸が躍る。
午前2時ハイキャンプ出発、9時メラ・ピーク登頂、夕方5時カーレB.Cに
下山と考え、楽しくなる。
昼間太陽が出ていると暑いぐらいだ、これが夕方になると氷点下


     あるだけの防寒具を着ても寒い・寒い


      最終打ち合わせ

アンザイレンの順番、アタックポーターの選出等を決め早めに寝る。
明日のアタックキャンプでは寝られないだろう。
5000㍍では寝袋に入っても絶えず意識して深呼吸、深呼吸
うとうとして寝てしまうと息苦しくなり、指先がしびれ手が硬くなっている。
あわてて深呼吸、明日のために寝なければと思う反面、寝てしまえば死んでしまうのでは・
との恐怖もある。

何度かうとうとしていると、午前0時過ぎダンマルからポーターの様子が変だとの連絡
あわてて駆けつけると目はうつろ、ろれつが回らず、ふらふらで立てない。
ポーター達がさかんに寝るな、寝るなと声をかけ、顔をたたいている。
明日のアタックに選んだ一人だ、シェルパ族で高所に強く一番荷物を担げるポーターだった。
サーダーが高山病と判断、ポーター全員がかわるがわるおんぶして即下山の体制をとる。
とにかく非常に緊迫した時間だった。
私たちは何も出来ない状態だったが、とにかく命だけは助けろとサーダーに伝えた。
暗闇の中を駆け下りていくポーター達を見送った。

5日
午前10時ごろダンマル・クライミングシェルパー・ポーターの一部が戻ってきた。
全員でコザ(3700㍍)まで降ろし、しばらく休ませたら自力で立てるようになったので
サーダーとポーター二人で後は降ろし、残りは僕達の世話をするように戻ってきたとの事。
コザからカーレB.Cまで私達は二日かかったところを彼らは往復9時間で戻ってきた。
なんともものすごいパワーだ。
クライミングシェルパーと明日以降のアタックについて打ち合わせをする。
昨年もこのカーレB.Cでポーターが高山病で死亡する事故があった。
ポーター達の動揺も感じられる、疲労も激しい、また下山したポーターの生死の情報も
得られない環境、責任者のサーダーも戻れない状態、等々を考えアタックの中止を
決断する。

6日
ポーターたちを十分休ませ、夕方下山開始。
皮肉にも6日は快晴だった。


    山の娘ロザリアの見送りに後ろ髪がひかれる


やはり下りの気持ちは重たい。
行くとき見えなかったクスムカングリ(6367㍍)が見える。



ダンマルの話だと、未だ村では病気は祈祷師に頼っているそうだ。
何しろ、村に帰るのにバスで20時間乗りそこから歩いて2日かかる所らしい。
そのため昔から医者などいなく村人全員が祈祷師に治してもらっているそうだ。
謝礼は約500ルピーだそうだ。

7日 
コザ(3700㍍)に到着
この村の衛星電話でサーダーと連絡がとれる。
ポーターはルクラの病院に入れ、命には別状無いことを聞く。全員一安心だ。
村の入口にヤクの肉がぶらさがっていた。
久しぶりに焼肉がしたいと思い分けてもらう。

持参した韓国の焼肉のタレで匂いを周りに撒き散らし大いに食べる。

ちなみにここでのビールは500ルピー、ポーターの日当が600ルピー
調子に乗り、2本、3本と飲んでしまった。
気の緩みか、バチがあたったのか、夜中から激しい下痢。
後から聞いたのだが、あのヤク肉は一ヶ月前からぶら下がっており、ネパール人は
それを食べるのは普通だとの事、それを聞いて余計にお腹が痛くなった。

また、食べ物がのどを通らず、飲まず食わずでチエトラパス越(4615㍍)が心配だ。
メララへの5400㍍より本当に苦しい登りになった。大いに反省!!


        僕の荷物を担ぐポーター、40キロを担ぐ

それでも何とか乗り切る。

8日
無事ルクラに到着
本来登頂しておればシエルパーダンス等パーティをやる予定だったが、控えて
ポーター達に報労を手渡した。

10日
予備日を含め日数があまったので、カトマンズから車で1時間30分の
ナガレコット(2000㍍)へ3日間のんびり静養?に行く。
最高の眺めのホテルで最高の部屋を予約(ルームNO147)

        右上が宿泊ホテル。

    宿泊ホテルここをクリック

アンナプルナ(8091㍍) ・ランタン(7225㍍) ・ガンチエンポ(6387㍍)
ガネーシュ・ヒマール(7406㍍) ・ドルチエ・ラクパ(6966㍍)
ガウリャンカール(7134㍍)が一望できる。

      部屋のベランダからワインを飲みながら朝日・夕日を拝む。

      ヒマラヤ・クラブからの眺め

ご参考までに
サランコット  マチャプチャレー(6993㍍)の眺めが最高 2009年
ナウリコット  ダウラギリ(8167㍍)の眺めが最高    2010年
ナガレコット  ランタン(7225㍍)の眺めが最高     2011年
アプリコット  甲東園駅の眺めが最高・・・・・・???



少しは’学’のあるところを・・

展望台には、タルチョがはためいていた。
タルチョとは経文が印刷された祈祷旗のこと。風にはためくごとに、
仏法が世界中に広まるとの信仰がある。5つの色は物質の五大(五元素)を表すという

     ダンマルと来年またチャレンジすることを約束し

15日
カトマンズからインチョンへ
体調も戻ったので、ソウル近郊の山、道峰山(ドボンサン)へハイキング。
ちょうど紅葉で綺麗な景色


    駅から近い岩山、ロッククライマーにはたまらないだろうな・・

     頂上ではもちろんマッコリと豚足

ソウルで20日ぶりに入浴、垢すりですべての垢を落とし、老いるマッサージをし、
焼肉を腹いっぱい食べて体重を元に戻し、そして

17日
無事西宮に戻りました。

感想

5000㍍以上の山に登るには
あらゆる環境の変化に耐えれる精神力と、あらゆる気象の変化に耐えれる肉体と、
そして運が必要だと感じた。

高山病は怖い

生きて日本に帰れてよかった! 
by fudeoka | 2011-10-25 09:00 | Trackback | Comments(0)